却下されることの重要性:鳥山明さんが大人気漫画家になったキッカケ
鳥山明さんが、大ヒット漫画家になる前の話です。
『週刊少年ジャンプ』伝説の編集者「Dr.マシリト」こと鳥嶋和彦さんとの制作秘話を紹介します。
鳥山明さんは、日本の漫画家・デザイナー。 プロダクションはBIRD STUDIO。愛知県清須市出身、同市在住。血液型A型。妻は少女漫画家のみかみなちさん。
生年月日:1955年4月5日
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鳥嶋 和彦さんは、日本の編集者、実業家。元白泉社顧問。 『週刊少年ジャンプ』の編集に長らく携わっており、特に鳥山明さんを見出し、編集担当したことで知られています。
生年月日:1952年10月19日
ウィキペディア
ヒット作品が生まれる前に、当時編集者として鳥山明さんを担当していたのが、「Dr.マシリト」こと鳥嶋和彦さんでした。
鳥嶋編集者曰く
「鳥山明さんは、ご自身が書きたいものを自由に書かせたら、面白い作品を書けなかった。」
当時の鳥山明さんが描く作品のクオリティは低かったそうです。
具体的には、鳥山明さんに「何がウケて何がウケないのかというセンスが無かった」ということです。
そこで鳥嶋編集者は、その状況を打開するために実行したのが
『鳥山明さんに、ひたすらボツを出す』という行動。
しかもこれには「こういうものを書いて下さい」という指導はありません。つまり、何も言わずに「ボツ」を出すのです。
何か書いてみました→ボツ
次はこういうものを書いてみました→ボツ
これの繰り返し。
この過程で「何がダメ」や「どこがダメ」は無いのです。
厳しいですよね。
ただ、ひたすら鳥山明さんにボツを出し続けるのです。
鳥山明さんは、この時、一説によると600ページもの『理由なきボツ』を食らい続けたと言われています。
そしてある時
「よし!」
鳥嶋編集者のオッケーが出ます。
それが「ドクタースランプアラレちゃん」に繋がっていくのです。
そこから、鳥山明さんに変化が現れます。
当初は「何がウケて何がウケないのか」、その物差しが鳥山明さんには無かったわけですが、この時初めて「オッケー」をもらったことで、鳥山明さんは戸惑いながらも「どうもこういうものがウケるらしい」と、だんだんとコツをつかんでいったそうです。
ボツにしてもらえるっていうことがすごく大切なのだという話でした。